古代において遷都は大きな政治的事業であった。莫大な費用と労力を費やして行なうからにはそれに見合う理由がなければならなかったが、果たしてその理由とは何だったのか。
藤原京から平城京への遷都の理由には、
(1)【都市問題】飛鳥川が朱雀大路を横断する地形上の問題等から疫病が多発した。
(2)【政治的要因】藤原氏が朝廷における権勢増大のために遷都を主導した。
(3)【心理的ショック】704年帰国した遣唐使が報告した唐の長安城の最新情報が藤原京との構造上の違いへの衝撃
(4)【軍事的要因】藤原京は大極殿が京の中央にあるため「天子南面す」に反し、軍事的にも問題があった。
等があるが、(3)の【心理的ショック】が意外と大きな理由だった可能性がある。
平城京から長岡京への遷都では
(1)仏教勢力からの逃避
(2)天武系から天智系への皇統交替に伴い天武系勢力からの逃避
などが理由として考えられ、
長岡京から平安京への遷都では
(1)長岡京を襲った二度の洪水
(2)桓武天皇が早良親王の怨霊を恐れたこと
などがその理由として考えられる。
なお、これらの都造りには都を災害・怨霊などから守るために四神相応という考え方が取り入れられていた。
10:21
講座風景
講師は中川俊夫氏
10:22
外は酷暑です。皆さんペンを持ち、真剣に講師の話を聞き、資料に書き込んでいます。
戦国時代最大の謎
光秀はなぜ信長を討ったのか?
信長はなぜ本能寺へ出向いたのか?
信長の首はどこへ行ったのか?
光秀を唆す黒幕、光秀に罪をなすりつける。光秀と家康は共謀と今でも本能寺の変の新説が出てくる。
歴史研究家達は何を根拠にどんな説を唱えているのか?
濃姫はどうしていたのか?国盗物語で司馬遼太郎は濃姫をどう描いているのか?実際は?
解説します。
光秀の信長への遺恨
①比叡山焼き討ち事件
②八上城母親人質事件 八上城を降伏させるため光秀は母親を人質に入れたが信長は城主を許さなかった。母親は磔にされた。
③林秀貞 佐久間盛信 安藤守成を追放する。働きがないと自分も同じ目に合うという焦りが光秀をおそう。
④斉藤利三を稲葉家から引き抜いたという事を稲葉一鉄は信長に直訴した。信長は返せというが光秀は従わなかった。信長は髷をつかんで脇差を抜こうとした。
⑤武田成敗の後の席で「我々も苦労のし甲斐があったというものだ」というと信長が近づいてきて「光秀!! お前がどんな苦労をしたというのだ!! 言うてみい!!」と光秀を足蹴にした。光秀はほかの家臣の前を転がってしまった。
⑥家康接待時の事件 「魚が腐っていた」という理由で接待役をおろされる。と同時に
⑦秀吉の配下で応援に行けと命じられる。
⑧坂本へ帰った光秀に国替えが命じられる。丹波を召し上げ出雲石見を与える。出雲石見は敵国。追放と同じ。
⑨信長の四国政策の変更。四国の長曾我部と姻戚の石谷家は光秀の娘が石谷家へ斉藤利光の娘が長曾我部へ嫁いでいて4家は姻戚だった。最初信長は長曾我部に「切り取り次第」と約束していただ長曾我部が四国全土を制覇してしまった。信長にとって四国は淡路島を通って神戸ー大阪-京都と畿内に近いところに80万石近い大名がいるのは意に反する。
そこへ秀吉が長曾我部の敵三好へ秀次を養子に入れ関係を築いた。秀吉はさらに秀次を引き上げて信長の3男信孝を養子に入れることを提案。信長がこれを実施した。
四国は伊予を三好 讃岐を信孝 土佐と阿波を長曽我部にと4国分離とした。長曾我部は納得しない。反発し信長は長曾我部成敗に乗り出す。その攻撃日が6月2日 本能寺の変が起きた同じ日であった。
光秀が天下を望んだ。愛宕百韻で
「時は今雨が下しる五月かな」は土岐氏の光秀が天下を取るそんな5月です。と受け取れる
連歌を発している。司馬遼太郎の国盗物語でも光秀が里村紹巴に告げている。
黒幕説
①天皇を含む朝廷
信長の行動は目に余るものがあった。馬揃いで威圧、暦の変更。蘭奢待切り取り、安土城の御幸の間は天主から見下ろす位置にある。職を辞した。(天皇の配下にはならない)
譲位を要請。
②秀吉
信長を安土城から引きだして本能寺での茶会を開くよう仕向けた。
光秀が襲う様に仕向けた。自分は早急に京へ戻れる様に手配した。
③光秀と家康
信長から家康を撃てと命じられた光秀が家康と談合して信長を討たんとしたが家康に兵がいないので光秀が犯行に及んだ。
どれも決定打がない。結局光秀にはいろいろ圧力はあったものの将来を悲観した光秀の単独犯行と思う。
光秀の話題
①天海は光秀だった。それはないでしょう。
②坂本龍馬は光秀の子孫だ。光秀の娘婿明智左馬之助(光春)の庶子が土佐に逃げて農家をやりながらその子孫が酒屋で身を立て商人となった。それが竜馬の本家才谷屋となる。坂本家はそこの分家。郷士株を購入して武士となった。家系的には子孫ながら血は繋がっていない。光秀のDNAではない。
信長の話題。
信長が初めてやったこと。
①初めてバナナをたべた。
②初めてワインを飲んだ。
③初めて誕生会をやった。
④初めて城の拝観料をとった。
⑤相撲の土俵、行司、弓取をやった。