プラザノースから1時間で到着。
博物館入口の正面玄関からの城の姿はよくない。
博物館は利根川東遷や川を利用した交通手段についての展示が多かった。
千葉県野田市利根川水流の地
築城は古河公方の側近 簗田氏。
小田原の北条 越後の上杉の主戦場であった。河越夜戦を制した北条が関東を制圧し越後の上杉と戦う。
潮来 潮来あやめ祭り潮来は常陸佐竹藩から徳川水戸藩の管轄になる。この地方の方言で潮をいたと言っていたことから水戸光圀がこの「板来」を「潮来」と呼ばせた。 潮来を有名にしたものは橋幸夫の「潮来笠」花村菊江の「潮来花嫁さん」であった 潮来笠の歌詞で「ここは関宿 大利根川の 人にかくして 流す花 だってよーあのこ川下 潮来笠」とは利根川上流の関宿から想いを寄せる女性に花を流してやる伊太郎をうたっている。 利根川は潮来までつづいているのです。 家康が関東に入ったときは多くの川が江戸湾に注いでいて川はいつも氾濫していた。 家康は荒川西遷 利根川東遷といってそれぞれを西と東に移し神田山を崩して江戸も街を整備した。 その結果利根川は江戸湾には注がれず潮来を経由し銚子へと流れているのです。 この工事を請け負ったのが伊奈町の伊奈駿河守忠次 当時は小室藩1万石の代官であった。そんな歴史が感じられる。
潮来花嫁さん
実際際の花嫁船を水郷巡りの船から見ることができました。
花嫁の両親への感謝の言葉がスピーカーから流れます。「この美しい日本に生んでくれてありがとう・・・こんな花嫁姿で嫁がせてていただきありがとう」と・・・・潮来花嫁さんは船で行く。水郷潮来ならではの花嫁の言葉であった。
鹿島神宮 経津主神(タケミカヅチノカミ)を祀る鹿島神宮と、武甕槌神(フツヌシノカミを祀る香取神宮とが、利根川を挟んで相対するように位置することがあげられる。また、春日大社では経津主神が建御雷神らとともに祀られている。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原)の本拠地だったため、両社の祭神を勧請したものである。ともに神話へ登場する神であり特にタケミカヅチは3度登場する。大国主の命が日本を安定させると高天原のアマテラスオオミカミは自分の孫が納めるべきと「国譲り」を交渉させる。結果交渉を成功させたのがタケミカズチとフツヌシであった。また後世神武天皇が東征で窮地に立ったときタケミカズチは刀を送った。たちまち神武天皇は敵を倒し勝利した。この刀は「ふつのみたまノおおかみ」といい神として山上神社の御祭神となっている。家康が寄進した本殿は奥宮として残されている。楼門から奥宮まで続く参道は広く硬い土の緑に覆われた涼しい参道であった。