天気は快晴 気温13度 8時30分プラザノースを出発 風は冷たいながら暖かい日差しのさすお出かけ日よりになった。高速道路は停滞気味であったが11時30分建長寺へ到着 建長寺の隣りの和風レストランで自然薯付きの昼食をとり寺院巡りとなった。最初は建長寺 有料ガイドで期待を膨らませたがそんなよい話は転がっていない。
鎌倉5代執権 北条が建立した我が国最古の禅宗の寺です。
立派な三門の前で記念撮影。
三門をくぐると煩悩がなくなり悟りへの道が開けてくるそうだがもう少し煩悩を持っていたい気もする。
黄色い「歴史クラブ(北大宮)」の旗が
印象的だった。
有料ガイドによる案内に聞き入る部員。
ご本尊がめずらしい地蔵菩薩。釈迦に代わり六道輪廻する衆生を救うありがたい菩薩です。
時代を感じさせる像であった。
天井には雲竜図
禅宗が伝わったとき同時に伝わったものと思われる。
北条時宗夫人が開祖。
豊臣秀頼の娘天秀尼で知られている縁切り寺。
”この階段を上ると女性は守ってもらえる”と死を覚悟で苦境から脱出したい女性が必死で登った階段で、階段を上がったところの山門は中門で男子禁制の結界だった。駆け込み寺も金次第でその後の生活もあり無料ではなかった。
天秀尼の墓ではあるがその隣にある墓標は誰のか不明である。が埼玉の忍城の甲斐姫のものとの説が有力であり埼玉県人の我々は信じて疑わない。甲斐姫は忍城から会津へそこで母の仇討ちをし美貌と武勇が秀吉の耳に入り秀吉の側室になった。淀から可愛がられ秀頼の擁護人となり大阪城落城時には秀頼の娘を連れて大阪城から鎌倉へと落ちた。天秀尼は千姫の命乞いで千姫の養女になり東慶寺に入った。天秀尼にとって甲斐姫は生涯忘れ得ぬ人であったに違いない。ガイドは付人としか言わなかった。
日本女子バレーで金メダルの大松監督の墓があった。
開祖は元寇を防いだ時の執権北条時宗
元寇で亡くなった日本朝鮮モンゴルの民を弔った。
円覚寺三門をバックに記念撮影。
円覚寺にも龍の図があった。
こちらは古く時代を感じさせる。
写真はすべて当日平川が撮影したものです。